目次

ダビデの星  ---イスラエル紀行 80首---
「2000年4月29日〜5月8日」

経を誦すな Psalmを唱うな 墓をつくるな 
            空へ棄てよ一刻の灰 (天久卓夫)


今朝ふいに空の青さに気づきたりルストゥスの枝を頭に冠るとき
                                  頭=づ


脆すぎるものゆゑ人は戦ひぬ律法もつモーゼ、剣もつエリヤ

1947年ベドウィンの少年が洞窟から素焼の壷に入った
ヘブライ語で書かれた羊皮紙の「死海写本」を発見した


いにしへに神と契りし旧約のイザヤの文字よクムランの洞

廃墟となりたる洞に羊皮紙のイザヤ書匿せる彼らが覚悟
                        匿せる=かくせる


母ラケルが難産の末いまはの際に、その子をベン・オニと名づけたが
父ヤコブは彼をベン・ヤミンと呼んだ
                               (創世記35-18)


行く末を誰にか問はむ生れきたる苦しみの子はた幸ひの子
         苦しみの子=ベン・オニ    幸ひの子=ベン・ヤミン


ナザレ--ヘブライ語で、守る=自分の信仰を守る、の意---

「彼こそはナザレ人なり」預言者に言はしめし人ここに住みてし

---ナザレ受胎告知教会---

主イエスを日本の姿に描きたる長谷川ルカの真珠のモザイク
                                姿=なり


---ガリラヤ湖---

白猫のやうにかはたれの刻は来て湖しろじろとわれには涙湖
                   白猫=はくべう    湖=うみ


---ベツレヘム生誕教会---

母マリアがふふまする乳の零れしと洞の岩をぞ喜び欠くといふ

主イエス、をとめマリアから生れしと生誕の地に銀の星形を嵌む

産みしのちマリアはメシアの母となる盈ち足りてゆく星の瞬き

洗礼者ヨハネの母エリザベト言ひき「マリア様、胎の御子も祝はれむ」
                                    胎=はら


彼らみな洞に住みしか聖跡はひとしく洞窟を祀りてゐたり

一人では生きてゆけざる荒野なり飼葉桶には幼子入れて

主とマリア連れしヨゼフが住める野は「良き羊飼ひの野」と言ひ継げり

---カナ婚礼教会---

大き瓶六つの水を葡萄酒に変へてイエスは村の婚礼祝ふ
                            瓶=かめ


サボテンと柘榴のみどり初めなる奇蹟にひたるカフル・カナ村

莫逆の友エレミヤよ、彼よりも親しきヨハネ言ふ「悔い改めよ」

---ネゲヴ砂漠、ベドウィンのテント---

雌数頭率たる雄驢馬がフェロモンを察知したるか勃起する沙
                      率=ゐ    沙=すな


ごうごうと木を薙ぎ伏する熱風ぞマサダ落城『ユダヤ戦記』に

裸木の枝を抜け来しつむじ風は死者を弔ふ低き音階

---死海エイン・ボケック---

泉なるみづみづしき謂はらめども白々と塩を吹き出づる湖
                    泉=エィン   湖=うみ


オリーヴの雫のごとく夜が来て湖に浮かぶは白き刳り舟

ニルヴァーナ至福なる名のホテルには泥シャンプーに人ら励めり

ヨルダンの岩塩を吹く秋風を鼻梁に受けて歩みきイエス ------ (吉川宏志)

断念を繰り返しつつ生きゐるか左に死海、右にユダの沙
                            沙=すな


遁れゆく土地もなきままをちこちに逃散したりきシオンの民は

あかときの夢に地球果つる景を見き墓碑銘に彫る「ホサナ高きに」
                                 地球=テラ


忘れねば生きてはゆけぬ記憶あれ葡萄酒の樽の大き木の栓

ヤハウェと呟くのみにて偶像は遂につくらずユダヤの人は

オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや ------ (斎藤茂吉)

終末に向き合ふものの愛しさかハル・メギドの野は花に満ちたり
                   愛しさ=かなしさ      (ハル・メギド=ハルマゲドン)


「疲れし者、重荷を担ふ者らみな此処に来たれ、休むがよい」
                           (マタイ伝11-28)


あたらしき千年紀に継ぐ風景とは?パソコンカフェのメールひそかに
                             千年紀=ミレニアム


マグダラのマリア教会
1888年ロシア皇帝アレキサンダー3世建立
マグダラのマリアと母后マリアの二人を記念して建てた


娼婦たりしマグダラのマリア金色の教会に名とどむオリーヴ山麓

磔刑の死後3日目、復活したイエスをはじめて見たのはマグダラのマリアだった

「マリアよ」「先生!」ヨハネ伝20章に描かるる美しき復活の物語あり
                    先生=ラボニ   美しき=はしき


ベン・グリオン=イスラエル初代首相

空港にその名とどむるベン・グリオン、ネゲヴ砂漠のオアシスの墓

テルアヴィヴ市庁舎前広場、ラビン首相暗殺の石碑

「ごめんなさい」の言葉刻めり、そはラビンを守れざりし市民の気持と言へり

テルアヴィヴそは「春の丘」狂信者の暴虐阻まむ和解のパーフォマンス

夕暮は軋む言葉を伴ひて海沿ひに来るパレスチナまで

カエサリアの名をぞとどむる海沿ひに大き水道橋をローマ人遺す

コシェルとてユダヤの食餌規定きびしエビ、タコ、貝類は穢れたるもの

食へる獣肉は蹄が分かれ反芻するもの。豚、兎、駱駝は忌むなり

エルサレム旧市街

ほの赭きエルサレム・ストーン幾千年の喪ひし時が凝りてゐたる
                            凝りて=こごりて


くちばしに一枝銜へて鳥立てり旧エルサレム、ヤッフォの門

異教徒われ巡礼の身にあらざるをヴィア・ドロローサの埃に塗る
        ヴィア・ドロローサ=痛みの道   塗る=まみる


「視よ、この人なり」ピラト言ひきユダヤの律法に盲ひし民に
        視よ、この人なり=エッケ・ホモ  盲ひ=めしひ


「永遠に続く思ひ出」と名づけたるホロコースト記念館に「子の名」呼ばるる
                        永遠に続く思ひ出=ヤド・ヴェシェム


日本のシンドラー杉原千畝顕彰の記念樹いまだ若くて哀し
                           哀し=かなし


ジェリコの山でイエスは悪魔の誘惑をしりぞけた

ヨルダン川オアシスの町「誘惑」と名づけし店に昼食を摂る

ヤルハ(樹木)→イェリホ→ジェリコいみじくも語源の明かすオアシスの緑

一万年前すでに人の住めりといふイェリシャの泉湧く交通の要

ジェリコいまパレスチナ自治区誇らしげに旗をかかげて風に靡かす

毎朔日はホロコーストの日サイレンを鳴らし犠牲者に黙祷捧ぐ

われらまたユダヤ人にならひ砂漠なる小さきオアシスに車を止めぬ

ニムロード・ベソール君(Nirod Besor)。44歳。日本語、スペイン語、英語、とヘブライ語の公認ガイド。
祖父はロシア在住のユダヤ人だったが迫害を受けアルゼンチンに亡命。
第二次世界大戦後、父の代にイスラエルに来てキブツに入植。そこで成人する。
3年間の兵役を終へた後、世界各地を放浪し、帰国して大学に入る。その後、日本に来て大阪外語その他で留学生活を過ごして帰国し、旅行ガイドとなる。
妻があるが、入籍はしていない。男の子2人あり、いづれも試験管ベビーといふ。
かういふ法的に夫婦でない関係でも、イスラエルでは、すべて健康保険でやってくれる、といふ。
見方にもよるが、私は「すすんでゐる」関係だと感心する。
共稼ぎの夫婦生活だが、彼らの生き方は、これからの夫婦の在り方を先取りしたやうな感じを受ける。 これを是とするか否とするか、は別の問題である。
いづれにせよ、10日間、彼のガイドでイスラエルを一周した。

ガイドB君兵役終へれば何もしたくなき三年としみじみ言へり

いつ弾の標的になるか知れぬ身を思へば心やすらがざりと

狙撃手の目はいづくなる背後より撃たるることも常に怯えて
                    狙撃手=スナイパー


兵役の三年とり戻さむと外つ国をほつつき歩きぬとB君は言ふ
                       外つ国=とつくに


「信じられるのは銃の引金だけ」そんな言葉を信じるな!君よ

美しい季節の記憶も暗殺者の影にかき消される 銃を売るな!
                       暗殺者=アサシン


パレスチナの街角で知つた柔かいはにかんだ微笑を思ひ出さうよ

大仰に笑ひをはち切らせる支配する者 いつも物陰から礫を投げる者
                                  礫=つぶて


のたうつ少年の血や哀しい少女の濡れた瞳はもうごめんだ

脂汗のにじむ不眠の夜 墓標の在処は誰にも教へるな
                      在処=ありか


サボテンの実はイスラエル人の象徴といふ、外側には棘、内側は甘美なりと

神ヤハウェは呟くごとく唱ふべし小刻みに体ゆすりつつ嘆きの壁に向く

麦、葡萄、無花果、柘榴、オリーヴとナツメヤシの蜜の「約束の土地」

ヴィア・ドロローサ
ベツレヘムで生れ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇蹟を起したイエス。
彼は次第に民心を捉へ、一部で熱狂的な支持を得てゐた。イエスはもともとユダヤ教徒である。
しかしユダヤ教の律法学者はイエスの説く教義が律法をないがしろにするものだと考へてゐた。
それはイエスが自分を「神の子」と称したからである。
そして、人々の心を捉へたイエスの力を脅威と感じ、結果的に十字架磔刑へと導いて行ったのである。
ローマ総督ピラトから死刑の宣告を受けてから、十字架を背負って歩くゴルゴダの丘への道は
ヴィア・ドロローサ Via Dolorosa悲しみの道(正しくは、痛みの道)と称する約1kmである。
新約聖書の記述にしたがって道すぢには、歴史的場所として
「ポイント」(英語ではステーション)が置かれてゐる。毎週金曜日
にはフランシスコ会の修道士が十字架を担ぎながらイエスの行進を再現する。
以下、叙事風にポイントを辿る。


第一ポイント

刑の宣告受けしイエスがゴルゴダの丘に発ちし地いまアラブ人小学校

第二ポイント

十字架負ひ茨の冠かぶされしイエスはローマ兵に鞭うたれたり

第三ポイント

プロテスタントは、イエスが、はじめて倒れた、この地点までを歴史的事実として認めるが、
以後のポイントは、ローマカトリックやギリシャ正教、アルメニア正教などが采配する故を以って、
聖跡と認めず、最寄の門から立ち去るといふ。


十字架の重みに耐へかねイエスはも倒れし処、小聖堂建つ

第四ポイント

母マリア磔刑にむかふ子イエスを見送りしとふサンダルのモザイク

第五ポイント

クレネ人・シモンがイエスに代り十字架を担がんとせる処と言ひ継ぐ

第六ポイント

絹布もてイエスの顔を拭ひしヴェロニカその名を愛でて今に名づくる
                                   愛でて=めでて


第七ポイント

審きの門の敷居につまづきイエス倒る二度目のことぞ門に罪状書
                               審き=さばき


第八ポイント   エルサレムの娘らにイエス言ふ

ルカ伝曰く「余のために泣くな。汝や汝の子供たちのために泣け」
                                   汝=な


第九ポイント

イエス三たび倒れし処、聖墳墓コプト教会の円柱哀し

聖墳墓教会
この地に最初に教会を建てたのはローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナだった。
彼女は熱心なキリスト教徒で、326年に聖地を巡礼し、
ベツレヘムの聖誕教会など多くの教会を建てた。
336年に完成した、この聖墳墓教会もその一つ。
ヘレナはこの場所を発掘することにより、キリストの墓と十字架の破片をみつけたとされる。
ヘレナの建てた教会は、幾たびかの戦火をくぐり抜けて来た。
特に614年にはササン朝ペルシアに、1009年にはエジプトのカリフ・ハーキムに破壊され大打撃を受けるが、
そのたびに蘇り、十字軍時代の1099年には大幅に増改築されてゐる。
今の教会は、この時の建物をベースにしてゐるが、1808年に火事で大破し再建されたものである。


第十〜第十四ポイント

いづれも聖墳墓教会内にあり、キリスト教各派がそれぞれ管理権を主張する世俗的空間でもある。

第十ポイント    ローマカトリック管理

ゴルゴダは「されかうべ」の意なりイエスは衣を剥がれ真裸とされぬ

第十一ポイント    ローマカトリック管理

「エロイ、エロイ、ラマ、サバタクニ」声高くイエス叫びて遂に息絶えぬ
「わが神、わが神、いかで余を見捨てしや」(マルコ伝15章33-39)

しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり------(塚本邦 雄)


第十二ポイント    ギリシア正教管理

磔にされしイエスのイコンあり。息を引き取りしとふ岩に刻める

第十三ポイント

イエスの亡骸を受取りしマリアの小祭壇アタバト・マーテルひそやかに在る

第十四ポイント

ヴィア・ドロローサ終点ぞ此処イエスの亡骸おさむる復活聖堂
                      復活聖堂=アナスタシス


エルサレム・岩のドーム
様々な人種で溢れかへるエルサレム旧市街。
バザールの雑踏の人混みをかき分けて進む路地の向うに
突然深い青色のタイルとその上に輝く黄金の丸屋根が目に
飛び込んでくる。イスラムモスクの中で最も絢爛たる美しさを
誇る「黄金のドーム」である。三大一神教の聖地として混沌と
した趣を見せるエルサレム。
宗教的情熱が激しく渦巻く街を見下ろすやうに神殿の丘に建つ
ドームは、眩しいまでに黄金の強烈な輝きを周辺に放ってゐる。
紀元前10世紀頃ソロモン王がヤハウェを祀る神殿を築いた場所に
紀元後691年、イスラム教徒はエルサレム征服を記念してモスクを
建設した。これが「岩のドーム」の元である。
16世紀にはペルシャからもたらされた青いタイルが付け加へられ、
1964年には金色に輝くドームが完成し現在の姿となる。
その姿は、まさに荒涼とした砂漠の大地から出る灼熱の太陽のやうで
あり、その輝きはエルサレムの街全体を照らし出す荘厳さに満ち、
イスラムの力を誇示するかのやうである。
エルサレムは現存する世界最古の都市の一つであり、さまざまな民族
に征服された複雑な歴史を持つ。
中でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの一神教が、この地を
最も神聖な場所の一つと定めた。その上に近代以降、イギリスなどの
列強国の植民地支配の権謀術策によって、この地は人間の惨たらしい
側面が噴出する呪はれた場所になった。
黄金のドームの中にある基礎石は、ユダヤ教徒にとって最も重要な
人物であるアブラハムが息子のイサクを神の前に捧げようとした岩で
あり、またキリストが磔にされた時には、この岩の上に張られた天幕が
引き裂け、さらにイスラムの預言者マホメットはこの岩の上から昇天
したと言はれてゐる。
このやうに、聖性が増せば増すほど人間の情念は募り、結果として、
衝突と破壊が引き起こされるのは、何といふ皮肉だらう。
いま、エルサレムの一番目立つ場所に燦然と輝く「黄金のドーム」は
単純にイスラムの信仰を示すだけでなく、街全体を美しく引きたてる
建造物である。
しかし、ユダヤ教徒が、この地を奪還しようとしてゐるのも事実であり
宗教の垣根を越えて平安がもたらされるのは、いつの日のことか。
ユダヤ教徒の中でも、白人と有色人との間には厳然たる「差別」が
存在するのが現実である。
そんなことを考えると、人間の「業」のやうなものを突き付けられる街
---それがエルサレムである。


目覚むるは絆あるいはパラドックス風哭きて神をほろほろこぼす

何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ



(完)


*エッセイ*
ツァバリーム     木村 草弥
(「未来」誌2001年1月号所載)


ユダヤ教にはミレニアムという行事は無いけれど、昨年五月はじめ千年紀の
一区切りにイスラエル訪問の夢を果たせて幸運だった。
エルサレムのホテルの近くのYMCAホールで、「ツァバリーム舞踊団」のショー
を見た。
ツァバリームとは、サボテンの実ツァバールの複数形。サボテンの実は外見は
棘で痛いが中身はしっとりと甘いことから、イスラエル人の譬えに使われる。
もっとも、これはイスラエル人自身の言うことであるから、迫害されるアラブ人たち
が、どう受取るかは分らない。
イスラエル――エルサレムの地は東西文化の十字路である。この舞踊団の
特徴は力強さと多元性。
何世代にもわたる離散ユダヤ人の聖地への想いや希望が凝縮されている。
東欧から来た初期移民であるハシディーム。アラブ諸国出身のユダヤ人――
例えばイエメン系ユダヤ人は二千年以上も世界の他のユダヤ教徒から完全に
孤立して信仰を守って来た――
そしてイスラエルに住むイスラム教徒のアラブ人。ドゥルーズ教徒など様々な
伝統文化を融合したものが、この舞踊団であり、全体として全能の神ヤハウェ
への信仰、祈り、感謝を表現する。
ホールは東洋や南北アメリカ大陸はもちろん、ヨーロッパから来た一千人余の
人々で満員で、三時間余りのショーに盛り上がった。
さて、現実にはパレスチナの帰属をめぐって厳しい対立がある上に、ユダヤ教徒
の中でも白人と有色人との間に厳然たる差別があるのである。
つい最近、純粋ユダヤ人とパレスチナ人とは、遺伝子解析によれば極めて近い
関係と発表された。
宗教対立という人間の「業」を抱えてイスラエルはどうなるのだろうか。
文末の歌は第二歌集『嘉木』収録の、ニースのシャガール美術館で作った歌
「シャガールの聖書」からのものである。因みにシャガールもロシア生れの
ユダヤ人である。

    エルサレムの宙へ光をまき散らしダビデとバテシバ天馬に駆くる
                    宙=そら


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