第二歌集『嘉木』より 自選 50首抄 |
(『嘉木』 角川書店 1999年5月31日初版刊) |
明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季の農夫の祈り たそがれて皆ゐなくなる茶の花の夕べを妻はひとりごつなり 温めても冷たくしてもおいしおす緑茶ドリンクは春夏秋冬 寄りて見よ茶の樹の花の蘂の黄のうひうひしさよいま盛りなる 茶師なれば見る機もなき鴨祭むらさき匂ふ牛車ゆくさま 機=をり 牛車=ぎっしゃ 奈島なる丈六堂にて「永超僧都」魚食みたるひるわりごの事 女の名は書かず女房、母とのみ宗旨人別帖は嘉永四年 丈六堂ありしはむかし弥陀像のまなざしのさき渡船場ありき 老いづけるこころの修羅か春泥の池の濁りにひるがへる紅絹 紅絹=もみ この春も杉花粉ふる夕まぐれ濁世さびしも目を洗はばや 濁世=ぢょくせ ひと粒の種に還るべしたんぽぽの白き絮とぶ空はろばろと 絮=わた 一休が森手をみちびき一茎を萌えしめし朝 水仙かをる 森手=しんしゅ 死後は火をくぐるべき我が躯にあれば副葬の鏡に映れ冥府の秋 冥府=よみ 葡萄摘むアダムの裔の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす 古典辞典みてゐる室に雷ひびき刺青図譜の革表紙光る 古典辞典=レキシコン 刺青=いれずみ 星に死のあると知るとき、まして人に快楽ののちの死、無花果熟す 快楽=けらく 無花果=いちじく ふだらくをめざすまぼろし尋めゆけばうなさかの夜に浮く酔芙蓉 尋=と 白桃を剥く妻の指みてをれば寧らぐ日々と言ふべかりけれ 菖蒲湯の一たば抱けばああ若き男のにほひ放つならずや 梅雨空へ天道虫が七星の背中を割りて翔びたつ朝 かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ 呵責とも慰藉ともならむ漂白の水に漉かれて真しろき紙は 青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおいしさう 咲き満ちて真夜も薔薇のひかりあり老いぬればこそ愛しきものを 薔薇=そうび えにしだの咲くころヘッセ読み初めぬ少年の日よ髭うつすらと 海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり 浜木綿=はまゆふ 告ぐることあるごとく肩に蜻蛉きて山城古地図の甦る秋 黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む 妻の剥く梨の丸さを眩しめばけふの夕べの素肌ゆゆしき サドを隠れ読みし罌粟畑均されて秋陽かがやく墓地となりたり 妻を恃むこころ深まる齢にて白萩紅萩みだれ散るなり 才媛になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら 嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏れ 振り返ることのむなしさ腰おろす石の冷えより冬に入りゆく へそまがり曲りくねつてどこへゆく抜き差しならぬ杭の位置はも ペン胼胝の指を擦ればそのさきに言葉乞食が坐つてゐるよ 胼胝=たこ ああと声あげし迦陵頻伽の唇が夢に出で来て目覚むる夜明け 迦陵頻伽=かりゃうびんが コーラスのおさらひをする妻の声メゾ・ソプラノに冬の陽やさし 草木萌え春の靄たつ産土は井手断層の真上にぞある はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり 行く先は未知の世紀へつながると思はば愛しめ この数年を 愛=を 妻消す灯わが点す灯のこもごもにいつしか春となりて来にけり ひと知りて四十年経ぬ萌え立てる君は野の花ムラサキハナナ あまぐものたどきも知らず老いぬれば死も遺伝的プログラムなる やくざなる言葉あそびに過ごす身にひとひら落つる蒲公英の絮 蒲公英=たんぽぽ 陽炎のあるかなきかの里の辺に還る夢なれ 花に雪ふる 黒南風に巻かるるやうにたんぽぽの絮ながれゆく涅槃あるべし 南風=はえ 水馬がふんばつてゐるふうでもなく水の表面張力を凹ませてゐる 水馬=あめんぼう 引退はやがて来るものリラ咲けばパリの茶房に行きて逢はなむ
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*書評* 茶への思い 情感豊かに (京都新聞平成11年6月18日朝刊所載)
城陽市奈島で茶問屋を営む木村草弥(本名・重夫)さん(69)がこのほど短歌集
「嘉木」(かぼく)を自費出版した。なりわいである茶への思いや、病と闘った妻へ の愛、老い、山城の歴史や身の周りの自然など日常を情感豊かに詠んでいる。 木村さんは91年に歌を詠み始めた。自由な作風で知られる短歌会「未来」や 地元の「梅渓短歌会」の同人となり、仕事の合間に詠んだ歌を発表し続けている。 「嘉木」に収めたのは493首。 95年の第一歌集「茶の四季」以降、98年末までに発表した800首余りの中から 選んだ。 歌の題材は、変わりゆく山城や海外の暮らし、世紀末など幅広い。だが、中でも 多いのは、新茶の季節の喜びや、茶樹への愛情を詠んだ歌だ。 明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季の農夫の祈り 茶どころに生れ茶作りを離れ得ず秋の深みに爪をきりゐつ 本のタイトルも陸羽の「茶経」の書き出しの「茶は南方の嘉木なり」からとり、表紙 には「製茶の図」を使った。 木村さんが日常を見つめる視線はどこかユーモラスだ。 水馬(あめんぼう)がふんばってゐるふうでもなく水の表面張力を凹ませてゐる 長年連れ添う妻を詠んだ歌は温かい。 病む妻に木瓜(ぼけ)の緋色は強すぎるほつほつと咲け白木瓜の花 妻を恃(たの)むこころ深まる齢(よわい)にて白萩紅萩みだれ散るなり 第一集に比べ、老いを見つめた歌が増えた。 嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏(く)れ 歌集の最後はこう締めくくっている。 引退はやがて来るものリラ咲けばパリの茶房に行きて逢はなむ (執筆者・洛南支社記者・大橋晶子)
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*短歌時評・抽出歌* 塚本 邦雄 (読売新聞・平成11年6月28日夕刊所載)
いずれも心・詞伯仲した好著であり、これだけ熟読すると現代短歌の、
ある断面が眼前に出現し、はたと考えこみ、また二十一世紀に望み を託したくなる。 ・はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり ・茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭むらさき匂ふ牛車ゆくさま 牛車=ぎっしゃ |
*書評* 木村草弥歌集『嘉木』書評 (角川書店「短歌」平成11年9月号所載)
『嘉木』は、木村草弥氏の第二歌集。集名は、陸羽の『茶経』の「茶は南方の
嘉木なり」によるもの。表紙の「製茶の図」が格調を示すのも「生業である <茶>に対するこだわり」のあらわれであろう。 汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ 立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり 宇治茶問屋の経営主の木村氏が、自ら茶摘みに励まれる歌。一、二首目の ヨーロッパ的教養が、茶摘みにあらたな匂いを添え、三首目、立春の日脚の 伸びる茶畑は、次の芽生えを育む光を浴び明るく健やかである。 山城の荘園領主に楯つけば「東大寺文書」に悪党と呼ぶ 年貢帳にいみじくも記す八十六人、三石以下にて貧しさにじむ 女の名は書かず女房、母とのみ宗旨人別帳は嘉永四年 氏の住む周辺は、玉つ岡、青谷の里、つぎねふ山城、と地名うつくしく、また豊かな 歴史がある。古典、古文書を身近に引き寄せ、その上に数十首の歴史詠があるが、 抄出のように弱い立場の階級に視点をとどめる歌に注目した。古文書の謎めいた 一行が明快に甦るのも韻律の働きであろうか。実証的な内容に雰囲気が加わり、 つぎねふ山城は生命ゆたかに、木村氏の精神風土となっている。 「自らのアイデンティティを求めたのか」と川口美根子氏の帯文にある。 まことに自己存在の源を求めて郷土への執着が窺われ、この上に茶園があり、 氏の四季詠がしずかに光を放っている。 <ともしびが音もなく凍る冬の夜は書架こそわれの黄金郷(エルドラド)たれ>の 一首もあるが、旺盛な知識欲と博識は、自から一集に滲む。 葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす 押し合ひて群集はときに暗愚なり群を離れて「岩うつモーゼ」 ヘブライの筆記のごとく右から左へ「創造」の絵はブルーに染まる 海外詠も、キリスト教的起源に触れ、英知を求めての旅であったろうか。 旧約を力づよい詩魂で描いたシャガールの図像に、知識人らしい見方が もりこまれている。 黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む サドを隠れ読みし罌粟畑均されて秋陽かがやく墓地となりたり 「死の書」もサドも、日常現実のなかでうまく溶けあい、言葉の繋りにより気配が 生れ、雰囲気のひろがる歌。「詩はダンスである」、氏の心得とされるヴァレリー の言葉を重ねて味わっている。 |
*エッセイ* 京を詠った私の一首 木村 草弥 (角川書店「短歌」2001年3月号・大特集 <旅に出てみませんか・歌めぐり京の旅>D 所載)
・一位の実色づく垣の橋寺の断碑に秋の風ふきすぎぬ
木村 草弥 この歌は私の第二歌集『嘉木』に「茶祭」の題で収録した十五首の歌の 一つである。 毎年十月に宇治茶業青年団の奉仕で催される「茶祭」は 年中行事として定着した。 「橋寺」というのは宇治川の川東にある寺で、川底から引き揚げられた ことで有名な「断碑」を安置してある。 昨年11月に私が訪れたら台座を 修理中で他へ預けられていたが、今は元通り置かれている。 ここには平成3年に上田三四二の初めての歌碑が建立された。それは <橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき>という 歌で、原文には濁点はふらず、歌は四行書きで、結句の文字は万葉仮名 で「賀祢吉」と書かれている。 京都と奈良の中間にある「宇治」は、この歌に詠まれているように古来、 「宇治川の合戦」をはじめ歴史的に枢要な土地であった上に平等院など の史跡にも富む。 源氏物語の「宇治十帖」に因んで十年前に創設された「紫式部文学賞」と、 川東に建つ「源氏物語ミュージアム」が成功して、特に秋のシーズンには 観光客で、ごった返すようになった。 因みに昨年の紫式部文学賞の記念フォーラムはNHKの桜井洋子さんの 司会で俵万智、江国香織、川上弘美他の各氏が「愛と恋と文学と」と題して 盛況であった。 |