目次



 詩集『免疫系』は2008年10月25日角川書店刊。
ここには抄出を出しておくが、詳しくは別項の「草弥の詩作品」
─<草の領域>に収録してあるので、ご覧ください。

   皆既月蝕 eclipse totale de lune

明けがたの
レム睡眠の夢見の中を起き出して
何年ぶりかの皆既月蝕を見た
月の面に ひとつの黒い影が近づいてくる
月が蝕まれてゆく
それを見ている私がいる
何という暗さだろう
月は いつもは さほど明るくはないが
今暁は 何という暗さだろう
月を蝕んでゆく地球の淵に
私が居る
何という遠さだろう
現(うつつ)のすぎゆきに私を置き去りにして
私が居る
何という儚(はかな)さだろう

暗さの中で 私は あの人を抱いた
いとしい生きものを
そっと包み込むように──。
その上を時間が流れ
赤銅色の月が ふたたび
ゆるやかに夏の早暁の森を照らし始めたとき
ぼんやりした意識の底に
私たちは居た

私の唇は あの人の唇をふさいだまま
愛は 確かめられたか
傍らに寄り添う暮しが何十年も続いている

地球に蝕まれている間も
月は確実に太陽の光を受けていた
日常の意識が
太陽の光を屈折させて届けて来る

私の中に
すっぽりと包まれるている あの人に
──愛を伝える術(すべ)をまさぐり
──まだ 愛し尽くしていない

いま月蝕の回復を目のあたりにして
月と太陽と ふたつのものの間(あわい)に
宙(そら)に浮ぶ地球の淵で
私は立ちすくんでいる
 (2004.05.27作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    パロール parleur et parleuse

ゆるやかな雲の流れ
許された時間が ひととき
僕たちに立ち止まる
それぞれ速度のちがう身体をもつ僕たち
妻よ すれ違ってゆく<時>を
僕らは 持った
そして 一瞬のうちに
そして たぶん永遠の
光の風味───。

僕たちは 多くの そして ひそやかな
パロールを交わしていた
そして たぶん ランプのほのかな光
さしあげた脚を照らしていた
草叢のざわめくときに
終わりを知らぬ<愛>
よどむ水面にただよう<言葉>の断片たちよ

夜を潜って
君を探しあてると
そこに<唇>があった
それは夜にしか
顕(あらわ)れないのかも知れない
言葉のやり取りが
果てしない線路のような気がして
どこかに 終わりがないかと
やみくもに潜ったものだった

夜を潜って
君を探しあてると
そこに<唇>があった
そこを かき分けるように進む

僕たちは 多くの そして ひそやかな
パロールを交わしていた
そして たぶん ランプのほのかな光
さしあげた脚を照らしていた
草叢のざわめくときに
終わりを知らぬ<愛>
よどむ水面にただよう<言葉>の断片たちよ
 (2004.05.26作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   散文詩・ 免疫系 Immunologie
        ──最新の免疫学の成果を踏まえて──

私たち人間が最期の時を迎えるときは、免疫を司るリンパ球がどんどん減少して10%以
下になった頃である。健康に暮らしているときのリンパ球比率は35〜40%であるが、
30%以下になると何らかの病気が出てくるし、20%以下になると重病人である。

免疫系の元になっているのは、単細胞時代のアメーバが特殊化せずに残った細胞で、私た
ちの体の中で「マクロファージ」と呼ばれている細胞である。単細胞生物が多細胞化して
起った最大の変化は、各細胞の「特殊化」である。たとえば、筋肉細胞になれば、収縮の
機能に磨きをかけたが、体を守る力は却って失われている。骨の細胞に進化すれば、リン
酸カルシウムを沈着させ丈夫さに磨きをかけるが、やはり体を守る力は失われる。
このような流れの中で、多細胞生物が、どのように我が身を守ったかというと、単細胞時
代の自分自身をとどめ置いて守りとしたのである。マクロファージは擬足を出して体の中
を移動するし、異物があれば飲み込む。アメーバとそっくりである。
マクロファージの食べる力をさらに退化させて、マクロファージが炎症部位にとどまる時
に使っていた接着分子を発展させたのが「リンパ球」で、それらを合わせて「免疫系」を
構成するようになった。
マクロファージはみずからの分身であるリンパ球を作って体を守る効率を高めているが、
基本的な働きは今でも、やはりマクロファージが行なっている。サイトカインなどの高分
子蛋白を分泌してリンパ球が働くか休むかを決定しているし、抗原をリンパ球に提示する
のもマクロファージの働きである。マクロファージ無しで免疫系が動き出すことは出来な
い。また、免疫反応が起こって組織が破壊された場合でも、最後の修復はマクロファージ
が行なっている。
このように、単細胞時代の生き残りは体の防御の基本になっているし、その個体の生死も
決定している。

一つの組織を維持するのも、壊すのもマクロファージの仕事であるが、骨の場合はもっと
関連が深い。マクロファージは栄養を貯めてやれば次世代を残すたるの生殖細胞になるし、
脂を貯めて脂肪細胞にも変わる。
そして、細胞は興奮して生じるカルシウムやリン酸を一次的に貯め置くと骨になる。つま
り、マクロファージがリン酸カルシウムという老廃物を貯め置いたのが骨細胞なのである。
この骨を壊す破骨細胞も、そもそもマクロファージで、骨を食べて壊してゆく仕事をして
いる。
私たちは運動不足になったり、寝たきりになると細胞興奮で生じるリン酸カルシウムの生
産が少なくなるので骨が出来にくくなる。さらに体を使わないので骨は不必要と判断して
破骨細胞は骨を削って縮小させてゆく。寝たきりのおばあさんが骨粗鬆症になるのも、寝
ている人に骨の丈夫さは不必要とマクロファージが決定して骨を溶かしはじめたのであ
る。すべて、なるべくして、なっているのである。

よく「輸血」をするがA型、RHプラスとかの血液型が適合しても、自己血でない場合は
免疫系は、他人血は「異物」と判定して、できるだけ早く分解しようとする。だから輸血
の回数を重ねるに従って、輸血の効率は極めて悪くなる。この頃はできるだけ手術などの
場合に、計画的に事前に「自己血」を貯めておく傾向は、そういうことを避けるためなの
である。

癌の末期には「やつれ」が極限になるが、マクロファージが作る腫瘍壊死因子(TNF)
が癌細胞を攻撃すると同時に、脂肪細胞を燃焼尽きさせ、いわゆる悪液質と言われる体調、
体力状態を作る。ここでもマクロファージは個体を燃焼尽きさせて最期とするのである。
点滴や管で栄養を補給し続ける医療行為があるが、マクロファージは送られ続ける栄養を
消費するために、大量の炎症性サイトカイン(先に挙げたTNFやインターフェロン)を
出しながら、生き残っている細胞を攻撃しつづける。病院で死ぬと激しい苦しみとともに
最期を迎えることが多い理由である。
その逆がある。
空海は死を迎える五日前に自分で食を断った、という。栄養無しになると、さすがのマク
ロファージも自己破壊の働きを止め、静かにして個体の死を待つのである。

私たちは無理な生き方をしていると「やつれて」来るが、それはマクロファージや、そこ
からのもう一つの分身である「顆粒球」が働きだして個体を消滅しにかかる。顔色が悪く
なって、やせ細って命を終える。進化した細胞はだんだん枯渇して、マクロファージと顆
粒球が全身にはびこり一生を終える。
 (2005.02.01.作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   1/fの揺らぎ・・・えふぶんのいちのゆらぎ

心拍の打つリズムを聴いている。
ああ!私のいのちのリズム!
あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
時にはドキドキしたり
落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
1/f のいのちの揺らぎ!

ロウソクの炎が揺れている。
今日は私のン十年の誕生日
自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
火をつけて
じっと見つめている。
ハピーバースデー ツー ユウ!
口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
ローソクの炎が揺れている。
1/f の炎の揺らぎ!
買って来た「物」についているバーコード。
同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
その線の間隔の並びが心地よい。
もっとも バーコードとは言っても
マトリックス型二次元コードは駄目!
1/f のバーコードの線の揺らぎ!
どこかで メトロノームが
かちかちと リズムを刻んでいる
ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
規則正しい、ということもいいことだが
一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
強弱、弱強の、
寄せては返す波のようなリズムの
波動が欲しい!
1/f のおだやかな波動の揺らぎ!
杉板の柾目の箱を眺めている。
寒い年、暑い年、
雨の多い年、旱魃の年────
それらの気候の違いが
柾目の間隔に刻印されている柾目。
等間隔ではない樹のいのちのリズム!
1/f の樹の柾目の揺らぎ!
そよ風が吹いている。
小川のせせらぎが聞こえる。
自然現象は
時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
今は
そよ風が吹き
小川のせせらぎの音が心地よい!
1/f の自然のささやきの揺らぎ!

どこかで
ラジオの「ザー」というノイズが流れている
周波数が合わないのか─────。
もう片方の耳には
妻の弾くピアノの音の合間に
かちかちというメトロノームの
規則正しい音が聞こえる。

そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
メトロノームの規則正しい音とが
いい具合に調和するような
ちょうど中間にあるような
1/f の調和したリズムの揺らぎ!
私の体のリズムと同じリズムである
<1/f の揺らぎ>に包まれて
<1/f のやさしさ>に包まれて
今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
----------------------------------------------------------------------------
<1/f えふぶんのいち>という言葉は音楽用語というよりも「科学用語」である。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。フランス語ではfrequenceという
ことである。難しいので、今回はフランス語の「副題」をつけるのはやめる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

         生 き る

たやすくは人は死ねざり夥しき下血にまみれゐたりても なほ

  ─抗癌剤それは毒物「毒をもて毒を制す」と世に言ふ─
妻に効く抗癌剤求め尋(と)め来たる某がんセンター丘の上にあり

マンスリー・マンション三階、病室より持ち帰り洗ふ妻の下着を

「原発不詳」とカルテに書かれゐたりけりロプノールのごとくわれらさまよふ

妻に効く抗癌剤なしのご託宣、異郷の空に夕光(ゆふかげ)赤く

「死に場所は故郷が理想」主治医言ふ、われら同意す帰心矢のごとく

民間の救急車に揺られ帰りつく京都の地なり地の香なつかし

ベッド拘束されてゐたのが嘘のやうリハビリの成果杖なしで歩く

点滴も服用薬もなし自前なる免疫力で妻は生きる

小康のひとときを得し安らぎに家族の絆(きずな)深まる春だ

 ─イタリアの諺にいふ<人は時を測り 時は人を計る>─
アメリカ留学帰りのM助手斯界の権威、三十代なかば

   ─リニアック2100C/Dはアメリカ製深部照射X線治療器─
照射時間十五秒×2、リニアックは我がいとしの前立腺(prostata)を射る

照射位置を示す腰間の+の字三七回済みたればアルコールで消す

「夫婦して癌と共生、なんちやつて笑はせるわね」妻がつぶやく

(2005.05.25作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

       幽 明

  <母の死は十三年前の四月十二日、妻の死は四月十五日>
桜ちる頃に死にたる母と妻、お供にと母が連れたまひけむ

「一切の治療は止めて、死んでもいい」と娘(こ)に訴へしは死の三日前

好みたる「渡る世間は鬼ばかり」観てゐたりしは半月前か

吾(あ)と娘の看取りに違ひあると言ひ「娘は本を読み聞かせてくれる」

 <園芸先進国オランダの東インド会社にインターネットで発注した>
誕生日三月五日にと空輸されし薔薇シャンペン・ゴールド見分け得ぬ 哀(かな)し

夢うつつに希(ねが)ふ心理のもたらすか幻の孫の血液型を言ふ

 <若い頃には聖歌隊に居て、コーラスや音楽をこよなく愛した妻だが>
夏川りみの「心つたえ」の唄ながすCDかけたれど「雑音」だといふ

   <オキシコンチン、モルヒネ鎮痛薬なれど所詮は麻薬>
訴ふる痛みに処方されし麻薬 末期(まつご)の妻には効き過ぎたらむ

たやすくは人は死ねざり赤だしのごときを妻は吐きつづけ 果つ

とことはに幽明を分くる現(うつ)し身と思へば悲し ま寂(さび)しく悲し

助からぬ病と知りてゐたれども死なれてみればわれは孤(ひと)りよ 

  <昨年春の私の前立腺ガン放射線治療は成功したやうだ>
私の三カ月ごとの診察日「京大」と日記にメモせり 妻は

<朝立ち>を告ぐれば「それはおめでたう」何がおめでたいだ 今は虚しく

<男性性>復活したる我ながら掻き抱くべき妻亡く あはれ

(2006/09/25作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

         明 星 の 

けふ一と日誰とも言葉交はさざりき初夏のゆふべを小綬鶏の鳴く

       ──聞きなしと覚えて亡嬬の呟くとや──
ちよつと来いちよつと来いとぞ宣(のたま)へど主(ぬし)の姿が見えませぬぞえ

哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル

      ──四国遍路、同行三人──
渦潮を見つつ辿れる海道は落花しきりの鳴戸の春ぞ

さまざまの過去を抱きて来し人ら菜の花の黄に鈴鳴らしゆく

鎮魂の念(おも)ひやまずも南(みんなみ)の里べの土を踏みて歩めば

吾(あ)と共に残る日生きむと言ひ呉るる人よ、同行二人に加へ

       ──最御崎寺・室戸東寺──
最御崎(ほつみさき)いづれば虚空に風立ちて御厨人窟(みくろど)といふ洞の見えつつ

<明星(あかぼし)の出でぬる方の東(ひがし)寺>などて迷ひを抱きませうぞ

       ──金剛頂寺・室戸西寺──
薬師(くすし)なる本尊いまし往生は<月の傾く西(にし)寺の空>

   <甘谷の水は菊水「菊慈童」の七百歳のいのちこそ憶へ>
人倫の通はぬ処、狐狼野千の住み処(か)とぞいふ菊咲く処

蜜壺にあふるるものに口つけて陶然とすれば菊慈童めき

赤まんま路傍にひそと咲きながら「あなたの役に立ちたい」といふ

紫の斑も賑はしく咲きいづる杜鵑草(ほととぎす)それは「永遠にあなたのもの」

(2008.01.25作)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

        う つ し み は

うつしみははかなく消えて失せにけり肉(しし)の記憶もおぼろとなりて

   <夢うつつに希ふ心理のもたらすか幻の孫の血液型を言ふ>
亡き妻が譫言(うはごと)に希(ねが)ひし三女の子生れいでたり梅雨の半ばを

亡き妻の<生れ変り>と言はれをり生殖年齢ぎりぎりの男孫

流産あまた前置胎盤逆子など乗り越えて帝王切開に生まる

          ──廣貴<ひろき>と名づけらる──
三番目の孫とし言ひていとけなし二十年の歳月われを老いしむ

(2007/07/25作)

TOP  目次

inserted by FC2 system