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茶の歌(第一歌集『茶の四季』より)  50首

 
(『茶の四季』 角川書店1995年7月25日初版刊
1995年8月25日2刷)
 

茶の花

 
茶畑はしづかに白花昏れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し

酷暑とて茶園に灌ぎやる水を飲み干すごとく土は吸ひゆく

たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂

ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実熟す白露の季に
                           実=さね

白露してみどりの萼に包まるる茶の樹の蕾いまだ固しも

初霜を置きたる茶の樹に朝日さす葉蔭に白き花ひかりつつ

 

光合成


葉の光さやにあえかに照りまさり光合成に茶の木は奮ふ

五月の陽に新芽かがよひ見はるかす一山こぞりて茶の香にむせぶ
                               五月=さつき

二人して刈りゆく新芽溜まりゆき茶刈機ずつしり腕に重し
                          腕=かひな

艶やかな茶の芽の摘籠積まれゐて茶のエーテルは置場に満つる

昔日の茶摘みは絣に手甲して今はジーパン耳にイヤリング
                           手甲=てっこ

農薬を使はぬ土の親しさや耕せば太き蚯蚓跳ね出づ
                  
露けしや畑起しせむと分け入れば茶の木の葉末に濡れそぼちたり

油粕、鶏糞、骨粉、刈草と有機肥料の肥をほどこす
                         肥=こえ

 

八十八夜
 
茶に馴染む八十八夜のあとやさき緑の闇に抱かれて寝る

茶の村のつづく限りを風光りわれの茶園は陽炎ひてをり

防霜扇五つ六つ据ゑて霜なきを喜ぶ日日に茶の芽伸びゆく

茶の木の芽一葉一葉が眩しくて逃るるごとく瞳を瞑りゐつ 
                           瞑=つむ

ふつふつと茶の呟きをまとひつつ風はみどりを笛にして過ぐ

葉桜の翳る座敷に滴りの思ひをこらし利茶をふふむ
                     利茶=ききちゃ

茶のみどり啜れば刻はゆるやかに過ぎゆくばかり老いの見え来る

花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗白し

 

製茶工場
 
うづたかく盛りたる茶の芽ずんずんとベルトに乗りて蒸機に入る

蒸気にて蒸されし新芽はしなやかになりてたちまち風送さるる
                            風送=ふうそう

二度三度上り下りて風送の新芽は乾き火炉に入りゆく

火炉の中バーナーの音轟々とステンレスの網は茶の芽のせゆく

火炉出づる真みどりの葉はまぎれなく我らがひたすら培てし碾茶
                             碾茶=てんちゃ

朝まだき茶を焙じをればかうばしき香りただよふ一丁先まで

遠赤外線の火を入れをればかぐはしき新芽の匂ひ作業場に満つ

茶撰機はぷちぷちぷちと小さき灯を点滅しつつ茶を撰り分くる
                        茶撰機=センベック

昔日は真黒き板に茶葉を撒き女ひたすら手撰りせしとぞ

さまざまの機械あれども抹茶挽く石臼に勝る道具なきなり

定温の零度の気温保たれて冷蔵倉庫に茶は熟成す

 

冬木

こぼれ灯が一つ洩れゐる茶の村へ帽ふかくかぶりひた帰りゆく

茶の花の白さほのかに随へて「宇治十帖」の道しるべ見ゆ
                           随=したが

茶の花を眩しと思ふ疲れあり冬木となりて黙す茶畑

野分のなか拝むかたちに鍬振りて冬木となれる茶畝たがやす

固き芽の茶の畝耕し寒肥を施れば二月の風光るなり 
                          施=や

 

夜咄の茶事
      夜咄=よばなし

冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

風化せる恭仁の古材は杉の戸に波をゑがけり旧き泉川
                   恭仁=くに 旧=ふる

雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく

釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

緑青のふきたる銅の水指にたたへる水はきさらぎの彩
                    銅=あか 彩=いろ

アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐の建水
                        南鐐=シャム

呉須の器の藍濃き膚ほてらせて葩餅はくれなゐの色
               膚=はだへ 葩=はなびら

手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶碗の銘は「亜土」とありて

 

野点
      野点=のだて

芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅咲き初むる如月の丘
                      芝点=しばたて

毛氈に揃ふ双膝肉づきて目に眩しかり春の野点は
                    双膝=もろひざ

野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛の白さよ無明のうつつ
                            脛=はぎ

香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩わが腑を洗へ

 



*書評*
   木村草弥『茶の四季』書評
(角川書店「短歌」平成7年10月号所載)


欲しかった椅子     玉井 清弘

   ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に
   川霧の盛りあがり来てしとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく
   五月の陽に新芽かがよひ見はるかす一山こぞりて茶の香にむせぶ
宇治で製茶工場を経営する作者の第一歌集である。「ひととせの寒暖雨晴
の巡り経て」「しとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく」「五月(さつき)の陽
に新芽かがよひ見はるかす」には、常に茶の生育を見つめている者のこま
やかな視線が行きとどいている。
木村氏はこの世界を歌った時、独自の耀きをみせる。
「あとがき」によれば1991年に作歌を始めたという。1930年の生まれだから、
六十歳を越えた遅い出発であった。この遅い出発と作品の完成度は注目に
値する。生業の製茶の世界の作品化は今後も続くだろうし、現代の歌壇
にとっても珍しい仕事の歌といえる。
   遠赤外線の火を入れをればかぐはしき新芽の匂ひ作業場に満つ
   定温の零度の気温保たれて冷蔵倉庫に茶は熟成す
現代の製茶はこのように機械化されているのである。
   緑青のふきたる銅の水指にたたへる水はきさらぎの彩
   恭仁京の宮の辺りに敷かれゐしもて風炉の敷瓦とす
   ちとばかり大事な客と老い母は乾山の鉢に粽を盛りぬ
製茶が仕事なので、茶道も日常生活に密着したものとなっている。「緑青(ろく
しょう)のふきたる銅(あか)の水指(みづさし)」「恭仁京の宮の辺りに敷かれ
ゐし(せん)」という道具を使っての「夜咄の茶事」という趣向の楽しい茶事も
生活の一部となっているようである。心温まる茶事であったろうと、かつて茶道
といくらか関わったことのある私をも楽しませてくれる。 女性の詠む茶道の歌
とは自ずから違うのである。「老い母は乾山の鉢に粽(ちまき)を盛りぬ」のように
「乾山」が日常的に使われているのである。
   あの椅子が欲しかったんだ文学の夢をひきずり歌を詠みつぐ
「あの椅子が欲しかったんだ」という木村氏、還暦を越えて手に入れた「あの椅子」
の坐り心地はどうなのであろうか。作歌に関わっての三、四年は熱心な作者に
とっては最も楽しく、多作な時期である。この時期を越えようとする木村氏は
この椅子にどのような気持で現在坐っているのであろうか。
欲しかった椅子を大切に育てて欲しいと念願する。

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