族の歌その他(第一歌集『茶の四季』から) 50首 族=うから |
(『茶の四季』 角川書店1995年7月25日初版刊 1995年8月25日2刷) |
母・木村トヨ |
この世紀はじまる年に生まれ来て戦も三たび経し我が母は 田舎もんは田舎が良いといふ母は九十年をこの村に棲む 筒鳥の遠音きこゆる木の下に九十の母はのど飴舐むる 京訛やさしき村の媼らは「おしまひやす」とゆふべの礼す 礼=ゐや 仏壇に供ふる花の絶えたりと母は茶花の露けきを挿す しぐれつつ十二月七日明け初めて母九十一われ六十一 到来の葛餅を食む老い母の唇べの皺の機嫌よきこと 唇=くち
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兄・木村庄助 |
青嵐はこぶ焙炉の香にぞ知る新茶の季と兄の忌日を 焙炉=ほいろ 季=とき 宿痾なる六年の病みの折々に小説の習作なして兄逝く 兄の書きし日記を元に書かれたり太宰治の「パンドラの匣」 池水は濁り太宰の忌の来れば私淑したりし兄を想ふも
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祖父・木村庄之助 |
立行司と同じ名なりし我が祖父は角力好めり「鯱ノ里」贔屓 角力=すまふ 我が名をば与へし祖父は男の孫の夭死みとりて師走に死せり 壮語せず洒脱のうちに死にゆける男いちにん祖父思ひ出づ
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姉・木村登志子 |
うら若き処女のままに姉逝きて忌日の二月十九日かなし 処女=をとめ 満開の梅の下にてわれ死なむと言ひし姉逝き五十年過ぐ
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妹・京子 |
京子とふ此の地に因む名を持てる末の妹の死は八歳ぞ わたしが死なば墓にお菓子を供へてと言ひしも哀れいもうと京子
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父・木村重太郎 |
無鉄砲に買ひ占めし茶が高騰し花街に派手に豪遊せし父 大学の講義に出ざりし我なるに授業料を父はひたすら納めき 木犀の香の著ければ父の忌の季めぐり来と思ふ朝朝 著=しる 豌豆の多きところを仏飯に母に供へむ七七忌けふ たらちねの母をおもへば乳ごもる腋香の甘き香の顕ちて来る 顕=た 夜ざくらは己が白さに耐へかねてほろほろ散りぬメメント・モーリ 群れつどひ椎の大樹にひしめける椋鳥ぞめく声の黄昏
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産土 産土=うぶすな |
その昔丈六堂なる権現社がありて因む名「十六」に住む 山城国綴喜郡の奈島村は「筒城の宮」を対岸に置き 木津川を上り下りの帆かけ舟「十六浜」に仲仕群れゐき 一文字に引き結びたる唇の地蔵よ雷雨の野づらをゆくか 伊勢、大和左右に分かつ三叉路に道祖神はぬくき陽を浴びいます 道祖神=くなど 自が生地選べぬままに老い古りぬ桜の一樹わが生もまた 自=し 白木蓮の花おほどかにうち開き女体は闇に奪はれてゐる 淡く濃く漂ひきたる風入れてめざめかぐはし藤の咲くころ 夢みることもはや無きとぞ思ふ我に眩しき翳り見する藤波 水底に動くものあり見つむれば蛙の卵の孵りはじめぬ 孵=かへ さゐさゐと鳥あそばせて一山は楢の若葉に夏きざし初む 献立は有季定型と鰻丼を妻は供しぬ土用丑の日 楢の木の樹液もとめて這ふ百足足一本も遊ばさず来る 百足=むかで かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす 諍ひて朝から妻にもの言はぬ暑い日なりき、月が赤いな 後の世に残し得つるはこれのみか我が放精し生せる三人娘 生=な 茶の神を迎ふる禰宜が辿りゆくまほらの小径萩のこぼるる 秋暮れて歯冠の中に疼くもの我がなせざりし宿題ひとつ 新年の色あざやけき青竹を結界として茶の湯点てけり 点=た をろがみて三啜り半に服したる新年の茶のこのほろにがさ 雑器の美はどこにでも転がつてゐる、もと溲瓶とは見えませんなあ 溲瓶=しびん 沈黙は諾ひしにはあらざるを言ひつのる男の唇の赤さよ 妥協とは黙すことなり冬ざれのピラカンサなる朱痛痛し かぶらない帽子がひとつ押入れの隅に小さな世界を占める 風景に自社商品の絵を瞬かせサブリミナルな映像はやる
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